稚内のこと。
こんにちは。
都市部ではなく、地方に住むことに関してどう感じていますか?
私は2013年4月から2年間、稚内市に住んでいました。
そこで感じたことを書きたいと思います。
生まれてからずっと札幌で暮らしていましたが、就職を機に引っ越しとなりました。
①意外と快適に過ごす事ができる
稚内市は人口3万人未満の小さな街です。
主な産業は漁業と観光。日本最北端のフレーズでいつもある一定の観光客の方はいる印象です。
稚内駅周辺は割と人がいる...かと思うとそうでもないです。
こちらの写真、稚内駅のものですが割と普段からこんな感じ。
チラチラと人はいるけど、決して賑わってはいない。
建物が綺麗なので、何とも不思議な感覚になります。
この中、映画館もあります。
それでも出来たのはかなり最近。
2010年6月オープンとのこと。
私が稚内に住んでいたのは2013年から2015年までなので、出来てまだ新しい時に行けたんだなと思いました。
綺麗な施設で空いているので、悠々と鑑賞できた印象です。
娯楽施設として楽しめましたね。
ただ、当時は上映している映画が都市部と比べて少しタイムラグがありました。
風立ちぬを当時観たいと思っていたのですが、上映開始から半年程度経ってから上映になった覚えがあります。
それでもあの街に映画があるだけでかなり嬉しかったのを覚えています。
今はインターネットで色んな映画を鑑賞できる時代なので必要ないと言えば必要ないのかもしれませんが、やはり街に一つでも映画館があるのは、寂しさを紛らわしてくれるものだと思いました。
意外と快適に住めると言えるのも、おそらくこういう娯楽施設が少しでもあるからでしょう。
②インターネットの普及は地方に住んでいると如実に感じる
稚内に限った話ではないと思いますが、ネットの有り難みって正直都市部よりも地方で感じると思います。
おそらくインターネットがなかったら2年住めたか怪しいです。
(現在も住んでらっしゃる方が大勢いらっしゃる思うので誤解のないよう申し上げますが、私は不便さなども含めて総じて稚内が好きです。ですが、便利さを知っている身としては、身寄りのない場所で暮らすということに対して心理的な負担を感じる部分はあったと思っています。その点は考慮いただけると幸いです。)
インターネットの普及でamazonが欲しいものを届けてくれるし、様々なコンテンツを観る事ができる。
これって凄いことです。
今まで伝わってこなかった情報がどこにいても一定の内容で届くってことですから。
街中にいると生活圏なので人もいますし、そこまで気になりませんが、
札幌まで遊びに行く道中はずっと道が続く状態でただただ車を走らせる感覚でしたから、
スマートフォンを持って車に乗っていることでとても安心できたことを覚えています。
何というか、未来から来たような感覚でした。
札幌も地方都市ですが、インフラは他の都市部と遜色ないほど発達していましたし、
都市と都市の間が2時間、3時間離れているなんていう感覚はなかったのでかなり新鮮で驚きました。
不思議とこの2年半は寂しいとは思っても、ストレスと感じたことはなかったです。
札幌にいる間は様々なことで悩んでいたけど、生きているだけでいいという、人生を肯定してくれる気概があるように思います。
「小さいことで悩んでないでゆるく生きましょう」
そんな風に言ってくれているようです。
音楽を持つこと。
いつから音楽を連れて歩かなくなっただろう。
その疑問はそっくりそのまま音楽への感心の薄れを象徴している。
いつでも携帯できてしまうからこそ、音楽はもうすでに連れて歩きたくなるようなツールではない。
まだストリーミング、ユーチューブなどが当たり前になる前、携帯プレーヤーの中は自分だけの価値を詰め込んだ宝箱みたいなものだった。
思い思いの好みの曲を詰め込んで、今日は何を聴こう、君はどんな音楽を聴いているの、と聞き合ったりして、そのときだけの感覚を楽しもうとしていたんだと思う。
曲自体の価値も今よりももっと高かったと思うし、ある意味で同じ感覚を持って皆同じような曲を聴いていたんだなと今になって思う。
CDを買うにしても1枚3000円程度する高価な買い物だから、どのアーティストのどのCDを買うかは今よりも真剣だった。
使い古された内容なので、何処かで書かれている記事の二番煎じでしかないかもだが、CD1枚の中にはハズレ曲があったりするので、欲しい曲だけを買うという選択肢がまずなかった。
なので今がいいと言う論調も否定できないが、意外とそのハズレ曲もアルバムを何十回と繰り返し聴いていると、スルメのように味が出て、身体に馴染んで来る場合がある。
そして意外とそういう曲を覚えていたりする。
今はバイナルなどのアナログがリバイバル中とのことだ。
溝に針が触れて物理的に音を鳴らすもの。
音を所有した感覚。
この感覚はデジタルでは得難いものなのだろう。
物体ではなく、情報を買うことが普通になっている時代。
だからこそ、アナログが見直されているのだと思う。
手元に音楽を持っている、その感覚は自分だけの特別な体験だ。
この話は音楽を持ち歩くとはまた別の話のようだが、結局は所有している感覚があるか無いかで言うと、非常に似ている感覚だと思う。
携帯プレーヤーにこれでもかと曲を入れていたのは、何処か所有していたいと感じていたからに他ならない。
今はまたアナログのショップが多くなっているように思う。
本当は昔からあっても気がつかなかっただけかもしれないが、アナログしかなかった時代と比べてデジタルが普通にあるこの時代では、
より俯瞰した感覚でバイナルなどのアナログを見ることができる。
デジタルでも手に入る音をあえてアナログで手に入れる行為は、より贅沢で、充足感に満ちた体験となる。
その体験のために時間とお金をかけることは逆行ではなく、より進歩した感覚なのだ。
音楽は音を聴いてこそ価値が生じるのはその通りだが、それ以前の自分の価値観を証明する一つのツールになり得ていたと思うのだ。
証明のために所有する。
いつでも何処でもネット環境さえあれば、あらゆる曲が聴けるようになった時代。
素晴らしいことだ。
でももう音楽を持ち歩くことに興味が湧かない。
北海道でこんな大きな地震が起こるなんて。
こんにちは。
去年、北海道で大きな地震がありました。
震源地では多くの方が犠牲となりました。
お悔やみを申し上げます。
ここまで大きい地震、経験がなく、起こったのが夜中ということもあり本当に驚きました。
起こった瞬間は電気が使えていましたが、すぐに使用できなくなり、その後2日使えませんでした。
たった2日。
それでもインフラが止められると気持ちは落ちるものですね。
いつまでこの状況になるのかわからない。
その気持ちは非常にストレスでした。
地震が起きたのが午前3時8分。
その後少し休むために寝ましたが、6時前に起床。
電気が使えないことがわかり、すぐ近くのコンビニに充電器、食料を買うために動きました。
その時点ですでにパンなどのすぐに食べられるものがなくなっている!
皆さんの素早い行動に驚きましたね。
有事の際はすぐに行動する決断力が大切なのだと感じました。
幸い、すぐにカップ麺、水は買えたので問題ありませんでしたが、携帯充電器は買えませんでした。
その後も充電器がなくて充電できる場所を探すのですが、備えとしてすぐに用意すべきなのは携帯充電器ですね!
有事の際はほぼ売ってません。
当日、開店とともに電気屋に並びましたが、その時は200人くらい並んでいました。
それなのに携帯充電器の用意は50個だけ。
買えません。
早々に諦めてダメ元で避難所に行ったところ、すぐに充電できました。
あれ、充電できるんだ…。
もっと早く知っていたら電気屋並ばなかったよ…。
12時頃に避難所に行きましたが、その時点ではほぼ人はおらず。
充電し放題の状況でした。
皆さん、避難所で充電器できることはあまり知らないんでしょうか。
かく言う私も知らなかったので、勉強になりました。
今回の被災で意識が変わりましたし、備えが本当に大切なのだと感じました。
自分は被災しないだろうという思いがどこかにありましたが、改めます。
株式銘柄の分析(アンリツの記録)
こんにちは。
最近もちゃんと株取り引きしています。
8/29の「5930文化シヤター」の前日900円台からの大きな値下げで窓空けしたので、828円で購入。
ここから900円台まで大きく上がってくるかなと思っていましたが、あまり目立った動きがなく、今日833円で撤退。
損はないけど、微妙な感じでした。
本当、出来高が低いし、微妙でしたね。
今後上がりそうでしたらまた入ろうかな。
最近は「6754アンリツ」を1750円で1000株購入しました。
小資金な私からすると、ちょっとした冒険です。
ですが、今上昇傾向でホクホク。
5G銘柄は夢がありますね!
やはり株は自分のお金を旅させるわけですから、夢のある銘柄に投資したいものです。
ヤフーファイナンスなど確認すると、2200円まではいくなど根拠が薄い憶測での内容が散見されますが、株は需要と供給なのでいくかもですね。
掲示板にはまだまだ上がっていくというポジティブな意見が多いです。
私は株を始めてまだ半年ですが、ひとつ勉強になったことがあります。
ヤフーファイナンスなどの掲示板ではそこに書いてある内容は関係なく、そこにいる人達の雰囲気で上がるのか、それとも下がっていくのかが何となくわかるということです。
私見なので鵜呑みにしないで欲しいですが、暴言が書かれている掲示板だとそこに書いてある内容とは関係なく(もしくは逆の方向に)株価が動く気がします。
暴言というと曖昧ですが、お互いに罵り合っているようなスレッドですね。
それらがあると、結構株価が乱れる気がするので、触らないようになりました。
リスクヘッジの意味もあって、必ず掲示板は見るようにしています。
その点、アンリツなどの掲示板では暴言や批判などのコメントが少なく、意見交換も健全な印象を受けます。
本当に私見なので参考にならないかもしれませんが、私はそう思っています。
他にも色々と見ていますが、またお話します。
とりあえず、「6754アンリツ」上がってね!!
珈琲の美味しさって?
こんにちは。
いきなりですけど、珈琲って美味しいですか??
美味しいっていう感覚は人それぞれかと思いますが、私は少し前まで苦味、酸味が残るかなりハイローストのものが好みでした。
疲れた時に飲むとおちつくし
しかし、昨今のサードウェーブの流行りもあって色々なコーヒーを飲んだ結果、それらとはまた違う世界があることを知ってしまいました。
いわゆるスペシャルティコーヒーを口にしたのですが、これは今までのものとは別物でした。
その辺りをちょっと書きたいと思います。
スペシャルティコーヒーは色々と定義があるようですね。
濃度も決められているらしく、世界中のスタンダードが存在するらしい。
ちなみに以下が日本スペシャルティ協会の定義です。
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消費者(コーヒーを飲む人)の手に持つカップの中のコーヒーの液体の風味が素晴らしい美味しさであり、消費者が美味しいと評価して満足するコーヒーであること。
風味の素晴らしいコーヒーの美味しさとは、際立つ印象的な風味特性があり、爽やかな明るい酸味特性があり、持続するコーヒー感が甘さの感覚で消えていくこと。
カップの中の風味が素晴らしい美味しさであるためには、コーヒーの豆(種子)からカップまでの総ての段階において一貫した体制・工程・品質管理が徹底していることが必須である。(From seed to cup)
具体的には、生産国においての栽培管理、収穫、生産処理、選別そして品質管理が適正になされ、欠点豆の混入が極めて少ない生豆であること。
そして、適切な輸送と保管により、劣化のない状態で焙煎されて、欠点豆の混入が見られない焙煎豆であること。
さらに、適切な抽出がなされ、カップに生産地の特徴的な素晴らしい風味特性が表現されることが求められる。
日本スペシャルティコーヒー協会は、生産国から消費国にいたるコーヒー産業全体の永続的発展に寄与するものとし、スペシャルティコーヒーの要件として、サステナビリティとトレイサビリティの観念は重要なものと考える。
日本スペシャルティコーヒー協会より
ふむふむ。
コーヒーの甘さが残るとあるように、私が飲んだものはキャラメルのような甘さが残り、いわゆるコーヒーらしさがなく別物と感じました。
しかし、コーヒー独特の落ち着きをもたらしてくれる香り、苦味は残っていて、良さは消えていない。
美味しい。
焙煎、特にハイローストで焦がしていくことが良さとされたコーヒーとは別に、現代らしいとても華やかなコーヒーと思いました。
私が行ったお店は東川町にある、ヨシノリコーヒーさんです。
いつから音楽を連れて歩かなくなった?
こんにちは。
いつからかな、音楽を真剣に聴かなくなったのは。
いつも携帯ウォークマンを持ち歩いて四六時中聴いていた自分が、気づけばほとんど聴かなくなっていた。
自分でもはっきりとした理由はない。
でもただ集中して聴くだけの体力と気力がなくなったような気がしている。
私が好みだったのは、バンド音楽だった。
ロック、オルタナティブ、パンク、アシッドジャズ…少しサイケデリックな雰囲気を感じさせるバンドを好んでいた。
人生で一番聴いたバンドはおそらくthe vinesだと思う。
高校卒業後、勉強もスポーツも大して出来ず劣等感の塊だった自分にとってクレイグニコルズの行動、声、演奏に衝撃を受けた。
the vines Facebookページより引用
おそらく彼らが一番輝いていた時代だと思う。
突き抜けた演奏、ライブはほとんど叫んでるだけという有様に最高にかっこいいと感じた。
クレイグになりたいと強く思っていた。
彼がアスペルガーと診断されて、日本に来ても暴言を吐きまくって観客からブーイングを浴びていた時代が正直一番、惹かれた。
そんな彼も40歳になったと知った。
病気を少しずつ克服して消化しているように見える彼に対して良かったと感じる反面、
あの一瞬の命を燃やすような衝動と演奏はもう戻って来ないと感じた。
だからなのか、
彼がバンド、ロックを自分のものにして消化した様を見ていた私は
クレイグを自分に投影していたからか
衝動に満ちた音楽は連れて歩かなくなったように思う。
それでも時々聴きたくなる時は、バンドに対して燻っていた気持ちが少し燃えた時なのかもしれない。
後悔にどう向き合うか。
こんにちは。
唐突ですが、タイトルのとおり、今回は後悔について書きたいと思います。
皆さん何かしら過去に対しての後悔は持っているのではないかと思います。
持っていない方は素晴らしい。
真摯に生きてこられたんだと思います。
もちろん、侮蔑的な発言ではなく、心から後悔の無いように生きてこられた方に対しては尊敬の念を抱きます。
過去にやらかしてしまったこと、逆にしなかったことに対してのコンプレックスと後悔。
もし、あの時ああしてたら、なんてことは常々思っていたわけです。
私はこの後悔に捉われすぎて、時間をずっと奪われていた気がするのです。
受験の失敗、細かいところだとピアノの発表会での失敗、なぜピアノをもっと真剣にやらなかったのか、あの女の子になんであんなことを言ったのか…など。
挙げればきりがないですね。
考えても時間が奪われていくだけなのに、どうしても頭から離れない。
そして無気力になってしまう。
またうまくいかなくて後悔する。
それを繰り返していた気がするのです。
後悔は正しく向き合えばその先の未来のための資産になりうるのですが、この時の私はうまく向き合えていなかったように思います。
では、向き合っていくにはどうしたらいいのか?
そんなことを自分なりに考えたので、書きたいと思います。
どうして後悔するのか?
まず、確認したいのはどうして後悔しているのか?
そこにフォーカスしないと始まらないわけです。
後悔しているという現状をしっかりと捉える必要があります。
後悔している=現在の状況が腑に落ちない、納得していない
ということなので、その現状をしっかりと捉えます。
私はまずそのことを意識するようにしました。
受験の失敗を例にしますと、受験に失敗した。
このことはもう紛れも無い事実。
このことを変えることは出来ない。
このことをしっかりと意識します。
当たり前のことを言うなと思うかもしれませんが、今考えるとこのことから逃げる思考回路になっていたと思うのです。
逃げると言うのは、自分のせいではないという他に依存した要因を考えるということです。
受験に失敗したのは体調が良くなかった、問題が難しかった、受けていた人のレベルが高かった、採点側が間違えているんじゃないか?、ほかに不合格になる要因が自分の知らないところであるんじゃないか?
こんな思考回路です。
これは全然現状を捉えられていません。
現状としてあるのはただひとつ。
受験に失敗したということだけ。
それだけなんです。
それ以上でもそれ以下でもないのです。
ただ単に失敗してしまったのです。
現況を捉えてから経験をどう活かしていくか?
失敗してしまった現状はもう変えられない。
この時間軸に乗っている私たちは過去には戻れない。
事実を事実として受け入れる。
これが大切です。
ですが、とても苦しいことです。
受け入れるには時間がかかると思います。
事実、私はとても時間がかかりました。
そして時間を無駄にしてしまいました。
受験を例にしましたが、その他のことにも共通すると思います。
私のように時間を無駄にする人がいなくなるといいなと思い、私が感じたことを書いています。
後悔を受け入れた先には
後悔を受け入れた先にどう考えていけばいいのか?
このことに気づくまでにもまた時間がかかりました。
受け入れてからもずっと苦しいのです。
現状はわかっていますが、感情としてはまだ整理がついていない。
頭では理解しているけど、気持ちがついていかないという感じでしょうか。
そこで次に考えたのは、失敗の原因から自分以外の要因を排除することでした。
先に挙げたように、自分ではどうすることもできなかったこと(憶測も含めて)は一切考えない。
失敗は全て自分の力量不足と考えるようにする。
そうすると不思議なのですが、後ろ向きな考え方はだんだんしなくなっていくのです。
受験失敗は自分が勉強しなかったから。
足りなかったから。
これしか考えない。
勉強しなかったから失敗したのなら、次は勉強すればいい。
そして成功体験を増やして自信をつける。
それだけです。
とにかく勉強してください。
それしか方法はありません。
例えば。あなたが中学生で高校受験に失敗したのなら、次の大学受験を失敗しないようにひたすらに勉強するしかない。
あなたが成人なら、資格試験や昇進試験などありますが、勉強するしかない。
限界だと思うところまで勉強していたのなら(限界は自分で決めるものなので絶対的なものではありません)後悔はないはずです。
もし、失敗しても自分に起因しない原因は考えない、排除する。
これが大切なことだと思っています。
以上私の経験を基にした記事でした。
当たり前のことですし、色々と感じることはあると思うのですが、一意見として見ていただけると嬉しいです。